高校野球の名門校である愛知県の愛工大名電で投手と打者の2刀流の活躍をみせているのが田村俊介選手です。
中学校では全国準優勝を果たしましたが、そのまま進める同じ高校へは進学しませんでした。
今回は田村俊介選手の出身小学校・中学校・さらには愛工大名電に進学した理由についてまとめてみました。
田村俊介の出身などのwiki風プロフィール
#田村俊介#愛工大名電
— らすかわ/Rasukawa (@suzu_rasu) May 3, 2021
左投げのサード。 pic.twitter.com/EF1hZ6Js0p
- 名前:田村俊介(たむら しゅんすけ)
- 生年月日:2003年8月25日
- 身長:178㎝
- 体重:88kg
- 出身地:京都府舞鶴市
- 投打:左投げ左打ち
- ポジション:ピッチャー・サード・ファースト
- 球種:スライダー・カーブ・フォーク・チェンジアップ・シュート
田村選手の出身は京都府舞鶴市なんです。
野球が上手くなりたいとの強い思いがあり、中学は高知へそして高校は愛知へと野球留学しているわけですね。
そうしたことからとても芯がしっかりした野球少年だったみたいです。
中学から子供と別居することになったご両親はさぞかし寂しがられたのではないでしょうか。
田村俊介の出身小学校
田村選手の出身小学校は舞鶴市立中舞鶴小学校です。
所在地は京都府舞鶴市字余部上120になります。
住所に「字」とついていますので都心部でなく、わりと田舎の方なのかもしれませんね。
小学校時代は共楽少年野球クラブで軟式野球をやっていて、すでに身長が170㎝ほどあったこともありピッチャーを務めていました。
完全試合やノーヒットノーランなどを達成するなど、近畿ナンバーワン投手として周囲の評価も高かったようです。
共楽少年野球クラブの西川幸満監督は次のように語っていました。
「とにかく野球が好きで一生懸命練習する。チームのみんなのことを考える優しさもある一方、試合になると相手に向かていく。」
どうですか、まさにチームプレーに徹した素晴らしい選手だったということです。
プロから注目される選手は小さい頃からその片鱗を見せているんですね。
田村俊介の出身中学校
愛工大名電の背番号1が内定‼︎
— たけしんTV (@aynihs_xxx) June 16, 2019
スーパー中学生、田村俊介君!試合前ブルペン投球練習【明徳義塾中】
◾️動画https://t.co/iAwDUmZxAM @YouTubeより#愛工大名電 #田村俊介 #明徳中 pic.twitter.com/xrzBzNDFJm
田村選手は中学校は地元の中学に進まず、高知県の野球の名門である明徳義塾中学へと進学されています。
明徳義塾中学校へ進学した理由は一つ上の先輩が行っていたのと、なにより野球がもっとうまくなりたかったからだと思います。
なんといっても明徳義塾中学校野球部は野球の名門校であり、全国大会で4度の優勝を誇るほどなんです。
その明徳義塾中3年時には主将をつとめ投打の二刀流として大活躍していました。
大阪桐蔭に進学した関戸選手との2枚看板で全国大会準優勝をかざっています。
しかしながら高校は明徳に進学しないと決めていたので、中学校3年の2学期に明徳中を退学し、地元の舞鶴市立和田中学校へ転校したのです。
明徳義塾中では、明徳義塾高校へ進学を希望しない生徒は卒業前に退学しないといけなくなっているからだそうです。
田村俊介が明徳義塾高校へ進学しなかった理由
上記のyoutube動画の中(4分あたり)で愛工大名電を選んだ理由を田村選手が語られています。
明徳義塾高校は春夏合わせて31回も甲子園に出場しています。
決して野球が弱い高校ではありませんが、それなのに田村選手は愛工大名電へ進学しました。
田村選手が明徳義塾高へ進学せずに愛工大名電へ進んだ理由は、「野球が強いから」だそうです。
明徳義塾高校野球部の馬淵監督も相当引き止めようと説得されたみたいですが、田村選手の意思が固くてなくなく了承せざるを得なかったようです。
もう一つの理由は違う県で自分の実力を試したかったとも言われていました。
愛工大名電が目指している「超攻撃野球」が、田村選手がさらに磨きをかけたいバッティングの上達に繋がるとの思いが合致したのも大きかったようです。