2021年高校野球界で注目を集めているのが秋田ノースアジア大明桜高校の風間球打選手。
そんな風間選手の出身小学校や中学校はどこなのか気になる方もいるのではないでしょうか。
この記事では風間選手の学歴とプロフィールについてまとめてみました。
風間きゅうたのwiki風プロフィール
風間球打(ノースアジア大明桜)
— ゆーき (@yuki_eagles_f) July 8, 2021
Max153kmの剛腕エース。
奪三振率も高く、将来のエース候補
選抜には出場出来ず、同い年のライバル小園、達のピッチングを見て雪辱を期す夏。
とある楽天ファンの方が推していると噂も。
#ゆーきが楽天に勧めたい選手 pic.twitter.com/b98hzIIgJW
風間球打選手のプロフィールについてみてみましょう。
- 名前:風間球打(かざま きゅうた)
- 生年月日:2003年10月11日
- 身長:183㎝
- 体重:81kg
- 投打:右投げ左打ち
- 兄弟:4人兄弟の三男
- 出身:山梨県甲州市
長男 球道(きゅうどう)
— ダル君 (@mukaikomagi) June 8, 2019
次男 球星(きゅうせい)
三男 球打(きゅうた)
四男 球志良(きゅうしろう)
明桜の1年・風間球打投手の兄弟の名前がもうお父様の野球愛で溢れてる‼️
風間選手はご覧のように男4人兄弟の三男になり、兄弟の名前にはすべて「球」の文字が入っています。
風間選手の父親である啓介さんは水島新司さんの人気漫画「球道くん」が大好きだったらしく、そこから自身の子供に「球」という字を付けたそうです。
さらにお父さん自身も塩山商業で野球をやっていたことから、子供にも野球に携わってもらいたいという強い願いがこもっているようです。
長男の球道さんは山梨学院で内野手、次男の球星さんは甲府工業でキャッチャーとして野球をされていて、四男で中学生の球志良さんも野球をされています。
子供4人全員が野球をやってくれていることは、父親の啓介さんにとっては何よりうれしいことなのではないでしょうか。
風間球太の出身小学校はどこでエピソードも!
風間球打選手は甲州市立奥野田小学校の出身です。
奥野田小学校の所在地は山梨県甲州市塩山熊野906に位置し、地図で見ると下記の場所になります。
風間選手は奥野田小学校1年生から地元の奥野田スポーツ少年団で軟式野球を始められました。
小学3年生からはすでにピッチャーを任せられるようになり、めきめき実力をつけていったみたいです。
小学3年生でピッチャーになったのは、おそらく野球センスが優れていたからではないでしょうか。
風間選手は小学校時代はサッカー好きで、野球ではなくサッカーをやろうと思っていたらしいのですが、どっちを選ぶか迷ったそうです。
ですがお兄さん達が野球をやっていたことから、その影響がやはり大きく野球を選んだといわれていました。
もし風間選手がサッカーを選んでいたらこれほど騒がれる存在になっていたかは疑問ですね。
風間球打の出身中学校はどこでエピソードも!
秋田大会優勝
— しゅう (@musashishura) August 9, 2020
ノースアジア大明桜
2年 風間球打(きゅうた)投手
150km投げる イケメンくん
山梨県笛吹ボーイズ出身! pic.twitter.com/0DFEUIigN5
風間きゅうた選手は甲州市立塩山中学校の出身です。
塩山中学校の所在地は甲州市塩山下於曽1039番地1に位置し、地図で見ると下記の場所になります。
中学時代は笛吹ボーイズで硬式野球を始められ、中学2年生の時に全国大会に出場するほどの強豪でした。
中学校3年生になるとすでに135kmもの速球を投げるほどの投手へと成長していったそうです。
中学卒業後はお兄さんたちやお父さんのように地元の高校ではなく、秋田県のノースアジア大明桜高校へと進学しました。
おそらく相当な数の強豪校からスカウトされたことと思いますが、その中でも山梨出身である明桜高校の興石監督の誘いを受け進学を決めたようですね。
興石監督の指導法や人間性などに魅力を感じられたのではないでしょうか。
かざまきゅうたの明桜高校での活躍
“朗希2世”だ ドラ1候補の明桜・風間球打 自己最速タイ153キロ発進 11球団スカウト絶賛― スポニチ Sponichi Annex 野球 https://t.co/8HNZ817IWc pic.twitter.com/TwDk0NlhW3
— yamaben (@2106noshiro) July 11, 2021
風間球打選手はノースアジア大明桜高校出身になります。
明桜高校の所在地は秋田県秋田市下北手桜字守沢8番地1に位置し、地図で見ると下記の場所になります。
明桜高校野球部出身のプロ野球選手には、元ソフトバンクホークスの摂津正(せっつ ただし)さんがいます。
明桜高校では1年生の春から公式戦に出場するなど早くから期待されていました。
その後、球速もどんどん速くなっていき3年時にはコンスタントに150km台のボールを投げるほどでした。
球速の推移
- 1年夏 138km
- 2年夏 150km
- 3年春 153km
明桜•風間球打(2年) 自己最速150km pic.twitter.com/Pc1LBkjUtD
— F (@_F_8_9_) July 18, 2020
2020年7月の秋田修英高校戦で投げてる動画があり、この動画の中で球速150kmが表示されます。
高校入学当時から3年間ほぼ体形が変わらなかったそうで、もともと細身で体重が増えにくい体質だったのだとか。
そこで食事のご飯の量を大盛にするなど体重増を目指し努力するものの、思ったほどの増加にはならなかったそうです。
ピッチャーとして球速を上げるためには体重増加は必須なのですが、風間選手には難しかったようですね。
その分体のキレを出すことやフォーム改造に力を入れたトレーニングに励まれました。
また直球だけでなくスライダー・フォーク・カーブ・チェンジアップなどの変化球もコントロールよく操っていました。
野球をするために生まれてきたような風間球打選手の兄弟はみな名前に「球」が付いています。
そんな野球の申し子みたいな名前を付けられた風間選手の両親(父親・母親)はどんな人なのかは、こちらの記事をご覧ください。